2008年7月8日火曜日

第二章 遭遇 後編





足音はゆっくりとだが確実に男に方へと向かっていた。重く引き摺るような足音はまるで地を這う蛇か蜥蜴を男に連想させた。男は生温く湿ったガジュマルの根と根の間に体をさらに捩じ込ませると、落ち葉や枝を頭からかぶり、近付いてくる足音にじっと耳を澄ませた。

男は混乱していた。ようやく自分以外の何者かに出会えると思った矢先頭の中に危険を伝える信号がけたたましく鳴り響いた。男は近づいてくる足音自体よりもこのことにえも言われぬ恐怖を強烈に感じた。


「俺はこの足音の正体を知っているのか。一体足音の正体は何なんだ。」


足音は男からそう離れていないところまで近づいていた。重く不規則な足音は近くづくにつれその輪郭が鮮明になり不気味な気配をより一層増長させていた。先程まで聞こえていた何かを引き摺るような音は正確には足音ではなく、重く固い金属的な物を引き摺っている音のようであった。
男はガジュマルの根の間にほんの僅かにできた隙間から足音のする方向へと目を凝らした。隙間からは落ち葉や泥土が邪魔をして広い範囲を確認することはできなかったが、足音が近づいてくるであろう方向を覗き見ることはできた。


その時、前方のガジュマルやソテツの黒く光る葉が揺れたかと思うと、そこから一人の男が姿を現した。


”現れた男”は周りの木々から判断すると身長は180センチ位であろうか、やや細身の体にところどころがほつれ赤黒く変色したもともとは白かったであろうシャツを身に着け、膝の部分に穴があいた黒いスラックスズボンを履いていた。足元は陰になりはっきりとは見えないが茶色の革靴を履いているようであった。そしてその男の右手には禍々しく光る大きな斧が握られていた。斧は黒く太い棍棒の先端に荒く研かれた黒い石を縄で縛り付けた粗雑な物であったが、それが逆に斧としての本来の目的とは全く別なことに利用されるためであるような悪意に満ちていた。
また”現れた男”の目はギョロギョロと神経質に周りを見ていたかと思うと突然白目を剥きヒクヒクとまぶたを痙攣させ、またしばらくするとギョロギョロと辺りを見回すということを繰り返していた。

男はガジュマルの影に息をひそめながら”現れた男”の行動をずっと目で追っていた。


「俺はこの男を知っているような気がする。」


男は”現れた男”の顔を見た瞬間に頭の片隅にある記憶の断片がよみがえっていた。それはパソコンや数多くの試験管が並ぶ研究室のような場所の記憶だった。


「そういえば、森の奥に白い建物が見えたような気がする。頭に閃いた研究施設はもしかするとあの白い建物の中にあるのかも知れない。」


そう考えたとたん男の頭の中にかかっていた靄がうっすらとひいくような気がした。


「俺はこの島にしか生息しないと言われる花を研究しに来た。俺はこの男と一緒にこの島でその花を研究していた。」


男は次第に記憶を取り戻しつつあった。


「花の花粉から癌の特効薬となる成分が採取できる。そう俺はそのための研究をしていた。そしてその研究の結果をまとめるもう一歩というところまできていたはずだった。」


男はもう少しで全てを思い出そうとしていた。

唐突にゴリュという音が聞こえたかと思うと男の目の前が真っ暗になった。男は何が起こったのかすぐには理解できなかった。理解できた頃には男の体は宙に持ち上げられていた。男の両目は”現れた男”が振り下ろした斧でごっそりと抉られ、眼球が抜け落ちた眼窠からは白く濁った液体が止めどなく滴り落ちていた。斧は両目を直撃するとそのまま上へと方向を変え男の体をガジュマルの間から引きずり出した。

”現れた男”は持ち上がった男の顔を一瞥すると口の中に拳を突き刺した。突き刺した拳は口の中で大きく開かれ舌の根元をつかむとそのまま勢い良く引き抜いた。

男の意識はそこで途切れた。男は死ぬ間際に思い出したことがあった。研究施設にはもう一人男がいたことを。

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